東京高等裁判所 昭和37年(ネ)1808号 判決 1963年6月24日
控訴人 野村成克
被控訴人 小林実
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、原判決の事実摘示を引用するほか次のとおり附加する。
(控訴人の主張)
(一) 約束手形における受取人の記載は手形要件であるから、手形所持人の手形債権はその欠缺せる受取人欄の記載が手形に補充せられたとき始めて発生し、補充せられざる間は未だ権利の発生はあり得ない。従つて未補充のまま訴を提起しても権利の行使ということはあり得ず、時効中断の効力は生じないことは当然である。原判決はこの点の判断を誤つている。
(二) 控訴人は訴外桜井建設工業株式会社に金融の便を与える目的で日東プレキヤストコンクリート工業株式会社と共同で本件約束手形を振出したものであつて桜井建設工業株式会社の被控訴人に対する債務の保証をしたものではない。原判決はこの点に関する事実認定を誤つている。
(三) 仮に控訴人の時効に関する主張が認められないとしても、控訴人は昭和三十四年一月ごろから被控訴人の主宰する菱本商事株式会社の経理事務、殊にその税務面を担当し同年末まで同会社の決算等をして来たものである。しかして同年十二月決算事務が終了した際控訴人の被控訴人に対して請求すべき報酬金と本件約束手形金債権とを合意の上相殺し、被控訴人は控訴人に対し本件約束手形金の請求をしない旨の意思表示をした。よつて控訴人は本訴請求に応じることはできない。
(被控訴人の主張)
控訴人の前記(一)ないし(三)の主張はいずれもこれを争う。昭和三十四年十月ごろから同年十二月末ごろまで控訴人に被控訴人の経営する菱本商事株式会社の経理事務に携つてもらつたことがあるがこれに対する謝礼は被控訴人より控訴人に対し現金にて支払つており、右報酬金と本件約束手形金債権とを合意相殺したことはない。
(証拠関係)<省略>
理由
当裁判所は被控訴人の本訴請求を認容すべきものと判断するものであつて、その理由は原判決理由を引用するほか次のとおり附言する。
一、控訴人の時効の抗弁について
白地手形は、白地部分が補充せられて始めて手形上の権利が行使できるものであるが、右補充前といえども全く手形上の権利が存在しない無効のものではなく、未完成の手形として将来手形要件の欠缺が補充せられた場合は有効な手形として権利を行使し得る如き手形である。そして満期の記載ある白地手形の白地部分が後日補充せられた場合、右手形所持人の振出人に対する権利の時効は右補充せられた時から進行するのでなく満期の日から進行することから考えると、右白地手形が補充されない間も、将来欠缺が補充せられた場合に完全な手形として権利の行使ができる如き言わば潜在的な権利について時効期間が満期の日から進行しているものといわなければならない。
従つて右白地手形の時効の中断についても、欠缺の補充せられない間に、右手形の所持人と手形の債務者との間に中断事由に該当する行為がなされたとき、それが法律上何ら効力を生じないものとなすことはできず、前記の如き潜在的権利の時効が中断し、後日欠缺が補充せられると同時に手形債権の時効の中断として認められるものと解するのが相当である。従つて右白地手形の欠缺の補充は一応少くとも手形の満期から三年以内になさるべきであるが右期間内に時効中断事由に相当する事実があるときは右事由の止んだ時から更に三年を経過するまで補充期間は延長されるものと解さなければならない。
白地手形の欠缺の補充は原則として右手形の正当な所持人において随時なし得るものであることや、時効中効のためにする手形債権の請求については手形の呈示を伴う必要がないことが判例として認められていることからしても白地手形に関する時効中断について前記の如く解するのが最も適当と思われる。
本件についてこれを見るに本件各約束手形(但し甲第一号証の五の手形を除く)について白地の受取人欄が補充せられたのは各満期の日から三年を経過している昭和三十七年五月十七日であるが、本訴の提起せられたのは満期から三年以内である(甲第一号証の五を含む)昭和三十七年四月三日であるから、同日民法第一四七条第一号により本件五通の手形につき時効の中断があつたものというべきである。しかして右訴の係属中に本件各白地手形の受取人欄は補充せられたのであるから、右手形債権はいずれも未だ時効完成することなく存続しているものというべく控訴人の時効の抗弁は採用できないところである。
二、相殺の合意についての控訴人の主張について
控訴人が昭和三十四年中被控訴人のために被控訴人の経営する菱本商事株式会社の経理事務に携り決算書作成等の仕事をしたことは被控訴人の認めるところである。けれども、右控訴人の仕事について報酬の契約のあつたことも認められず、まして控訴人主張のような報酬債権と本件約束手形金債権を相殺する合意のあつたことを認め得べき何らの証拠もない。却つて成立に争ない甲第五号証と当審における控訴人、被控訴人各本人尋問の結果に徴すると、被控訴人は右控訴人の仕事の報酬として昭和三十四年十二月十三日金四万円を控訴人に支払つており、右合意による相殺の事実の無かつたことを窺うに十分である。控訴人の右主張もまた採用の限りでない。
以上の次第で原判決は結局相当で本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 谷口茂栄 加藤隆司 宮崎富哉)